飯田線旧国1983−はじめに
かつては旧型国電の博物館ともよばれ、戦前形旧型国電(旧国)の宝庫だった飯田線でしたが、1983年夏をもって新性能電車119系への置き換えが完了し、これら貴重な旧国が全廃となりました。このコーナーでは1983年、飯田線旧国最後の活躍を綴り、運用廃止後、全車廃車解体されたことにより現在ではその姿を見ることが叶わなくなった飯田線戦前形旧国最後のメンバー達の姿を紹介します。


最後の春を迎えた飯田線旧国が伊那路を行く

飯田線とは愛知県の東海道本線豊橋から愛知・静岡・長野の各県を経て中央本線辰野に至る全長200km弱のローカル線です。木曽山脈(中央アルプス)と赤石山脈(南アルプス)の間をほぼ天竜川に沿って走り、佐久間・飯田・伊那などを通る風光明媚な線です。元は4つの電化私鉄でしたが、戦時中に政策により国に買収され当時の省線(国鉄)電化区間での連続最長距離を誇りました。全線電化されてはいるものの基本的は全線単線です。例外的に豊橋からしばらくは複線区間があり、またこの複線区間は名鉄(名古屋鉄道)と共用していることも特徴的です。

この長距離ローカル電化線区には、昔から都市部での役目を終えた旧型電車が投入され、しかも200km弱の全線を通しで運転する運用もごく普通にあったためクロスシート車が優先的に投入されてきました。仮に全線乗ると、6時間にも及ぶ長旅になるため非電動車にはトイレの設置改造を受けたものがほとんどでした。

国鉄時代は全線静岡鉄道管理局の管轄下で、車輛基地は南の豊橋区(静トヨ)と北の伊那松島区(静ママ)がありました。さてこの辺から本題に入りますが、1978年までこの両区には戦前形旧国が配備されていましたが、同年これに世代交替のメスが入りました。豊橋区に旧型国電としては最後(即ち最新の旧型国電…変な言いまわしですが)の80系全鋼型(300番台)が投入されることになり、同区の戦前型旧国が淘汰されました。この中には飯田線の主とも言えた旧京阪神急電用の流電(流線型電車)クモハ52も含まれていました。

この豊橋区の戦前型置き換えにより、豊橋の80系、伊那松島の戦前型の残党という棲み分けができ飯田線旧型国電全廃までこの体制が続きました。

時は下り1983年旧型国電の宝庫だった飯田線に、新型車輛が投入されることになり、長く続いた旧国大国は滅亡することになりました。投入されたのは119系で一部廃車の101系からの部品流用などもあったようですが、基本的には飯田線のためにまっさらから用意された初の新性能車輛でした。

119系の導入は、より旧い伊那松島の戦前形からとはならず、運用が比較的簡単で置き換えが容易だった豊橋の80系からでした。


飯田線で最後の活躍をする80系(田切-伊那福岡)


飯田線に投入されていた80系300番台は全鋼形と呼ばれる最終形


「湘南形」と呼ばれ当時の私鉄電車にも大きな影響を与えた2枚窓

1983年の2月に飯田線車輛としては新参者だった80系が伊那松島区の戦前形に最後を看取られるように廃止されました。これによって、戦後東海道線東京口にデビュー後「湘南電車」として一世を風靡し、それまで客車列車の独壇場だった長距離列車に電車の使用が耐えることを実証した大功労者80系はその生涯を飯田線で閉じることになりました。上写真の3枚目は豊橋駅のもので、名鉄とホームも共用しています。前面につけられた看板は行先と発車時刻を書いたもので、駅の備品です(電車からは発車する前に取り外されます)。いわば、今でいう駅の電光掲示板のようなもので、飯田線豊橋駅独特のものだったと思います。

豊橋の80系全廃から遅れること数ヶ月いよいよ伊那松島の戦前形旧国も最後の時を迎えることとなりました。1983年6月に豊橋と同様に新鋭119系が伊那松島にも配備され旧国は定期運用を終了しました。その後、7月・8月にそれぞれ「さよなら運転」が行われ8月21日の伊那松島−中部天竜間のさよなら運転を最後に飯田線の旧型国電営業運転は全て終了しました。その後、多くの(または全ての?)旧国は国鉄浜松工場に移送されそこで全車解体されました。1978年に廃車となった流電クモハ52は2両解体を逃れ保存されたのに対し、最後まで飯田線で活躍した旧型国電はその全てが解体されたものと思われます。飯田線旧国廃止直後、たまたま乗り合わせた東海道線の車窓から浜松の留置線で解体を待つ旧国の一群の中にあのゼロナナ(後述)の姿を見つけたことは忘れられません。

この廃止直前の飯田線戦前形旧型国電の姿を写真で追っていこうと思います(廃止直前にしか飯田線を訪れたことはないので流電等の写真はありません。悪しからず。)。写真は全てGGVKが1982暮から1983夏にかけて撮ったもので場所・期間が非常に限られたものです。例によって似たショットばかりですが、「飯田線の旧型国電って何?」とお思いの方から「飯田線の旧国!懐かしい!」とお思いの方まで楽しんでいただければ幸いです。


運用の合間、伊那松島区に佇む旧国(1983年6月)

時、伊那松島機関区(電車も配備されていましたが伊那松島区の正式名称は「機関区」でした)では周遊券など国鉄を利用してここを訪れたファンに対し場内を開放していました。原則事前連絡が必要だったようですが、アポなしでも入れてもらえました。官僚的などと言われた国鉄ですが、地域によっては現場対応でこのような粋なはからいもありました。